唯一無二とは

ー唯一無二とは。

突然だけれど、私は、アイドルが好きだ。男性アイドルも女性アイドルも好きだ。

うちわとペンライトを振り回して、キャーキャーいう日もあれば、

MIXだって打つし、「ファイボーワイパー」と叫びたくなる日もある。

最近は、韓国のアイドルも好きになってきて、目と耳が足りない。

 

わたしは、今までいろんなアイドルの始まりと終わりを見てきた。

 

 

いまでは国民的アイドルになったAKB48の世界では、

”センター”になれるのは、”唯一無二”の存在になれる人だという。

 

それは、私たちが生きるリアルな世界でも一緒だとふと思う瞬間が、

最近やたら多い。

 

 

ー新しい恋をする。

 少し前、私は結婚を考えていた彼と別れた。

理由は、彼の酒癖とか、本当にくだらなかったけど、

何よりも”結婚できないと思った”というのが一番強い。

ずっと大好きで追いかけてきたけど、子供のような人だった。

私がああ言えば、彼はこう言う。最期はそんな感じだった。

 

そして、私はあっという間に次の恋をした。

前の彼のことを5年も一途に思ったのに。自分でもびっくりしている。

ほんの数か月であっという間に恋に落ちた。

 

でも、うまくなんていかない。

彼は私に好意を持っていると、周りからは唆されているが、

彼は本当は私のこと好きじゃないか、彼は本物の奥手なのか。

私界隈(散々話を聞かせている)は、読めない彼の言動に、私と共に翻弄されている。

(もしくは、アクションを起こすほどのLOVEではなくて、LIKE。

周りが盛り上がっているだけで、おそらく結局なんだかんだこれだと思ってる)

 

彼の好みは、話せば話すほど掴めない。

彼のことを知れば知るほど、勇気が出なくなる。

そんな気難しい彼の”唯一無二”になるにはどうしたらいいのか、

頭を抱える毎日だ。

 

ー友達の彼氏に会う。

つい昨日、10年来の友達に彼氏を紹介された。

考えてみれば、友達に彼氏を紹介されたのは初めてだった。

 

彼女には、彼と付き合うのはとても悩ましい選択だったことは知っていた。

彼女を取り巻く二つの愛が彼女の決断を遅らせたし、

私たち友人は、その愛の行方を見守ってきた。


いろいろあった彼女だから、友達に会わせて、意見が聞きたかったのかもしれない。

でも、私は彼に会って一目で彼女が選んだ道は正解だったと分かった。

 

何よりも、彼女を見る彼の目が、恋をしていた。

愛に満ちていた。

彼女のすべてを受け止めていた。

 

時に明るく、時に素直に、嫉妬というマイナスの感情すらも

綺麗に見せることができる人だった。(しかもイケメンかつ超絶ハイスペック)

 

彼の愛を一心に受けた彼女の笑顔は本当に幸せそうだった。

わたしのくっだらない恋愛相談にまで乗ってもらって、

私まで幸せになった夜だった。(ちゃっかり彼にご馳走にもなった)

 

彼にとって彼女は唯一無二の存在なんだろうと思ったし、

彼女にとってあんなに大事にしてくれる彼は傍から見ても、唯一無二の男性だった。

 

帰り道、幸せな空間を思い出しながら、私は思った。

そうだった、昔から彼女は賢かった。

ほらやっぱり。賢い女は、決断ができる。

 

m-14.hatenablog.com

 

ー自分の幸せは、自分で決めるもの

そんなの、当然じゃん?ってみんな思うんだろうけど、

最近は、(私の物差しでいう)女性としての幸せを

私の人生はきちんと手に入れることができるのか、その焦燥感でいっぱいだった。

 

そして、その焦りは日々拡大してきている。

人と比べるなんてナンセンスだし、結婚する為に恋愛するわけじゃない。

 

愛する人と一緒にいるために結婚するし、そこに焦りは必要ない。そのはずだ。

なんともセンスがない言葉でしか表現できないけれど、理解してるつもりだ。

 

でも、女の場合、どうしても周りの目から逃れられない。

(男性もそうなのかもしれないが)

周りの評価から逃れられない。

 

結局、自分の幸せに対する焦燥感は、

何よりも、その周りの目とやらから生まれてくるんだろう。

(もちろん自分が一人で生きて、死んでいくことの恐怖もあると思うが、

若いうちはきっと周りの目からの意識のほうが大きい)

 

どうして結婚できなかったら、売れ残り扱いされてしまうんだろう。

少なくとも私の周りの未婚女性(俗にいうお局)たちは、驚くほどみんな綺麗だ。

 

しかも、わたしだってそうなる運命なのかもしれないのに、

どこかで「この人はなんで結婚できなかったんだろう」とみてしまう。最低だ。

 

きっとそこには、同情の目と将来の自分の身を案じる二つの目線が存在していて。

人と比べるもんじゃないのに。やっぱり最低だ。

 

誰が結婚を幸せのゴール(もしくは中継地点)と決めたんだろうなあ。

なんかセンスがないなあ。と思う毎日である。

(結局それも、いまの自分には相手がいないから。自己中である。)

 

それでも、私はいつ運命の愛する人と出会って、結婚できるんだろう。と悩む。

あの人かなあ、この人かなあ、とそれはもう大変な騒ぎである。

 

友達カップルと会ったあと、好きな彼に会いたくなった。

想いを伝えたくなった。でも、やめた。まだ勇気が出ない。

 

こんな賢くなくて、あさはかなわたしも、

好きな彼と結ばれたいと、毎日祈りながら眠る。

明日こそは、彼の唯一無二になりたいと願いながら。

決断できる女

— 決断できる女になれ。


母の言葉である。

母はよく、わたしに女としてこう生きるべきだ、という言葉を口にする。

 

母は、決して、誰もが振り返るような綺麗な女性というわけでもない。言ってしまえば、いたって普通。


でも、母はいわゆる ”女の幸せ” と呼べるもの、いま私がいちばん欲しいと思うもの、その全てを若くして手に入れた。


自分自身、結婚願望は強い方だと思う。
私だけを愛してくれる旦那さんと、幸せに暮らしたい、好きなものに囲まれて暮らしたい、それがいまの私の夢。

 

結婚だけが、幸せになる術ではない。
女の全てではない。
そんなことはわかっている。


でも、わたしはまだ23歳。
お嫁さん、になりたいんだ。

 


母は、24歳で結婚し、25歳で私を産んだ。


子供は私1人。愛情をかけて育ててくれた。
でも、私は、田舎での生活が嫌で、地元を捨てるような気持ちで、東京の大学へ進学した。

 

都会へ行くことは、母の夢のひとつでもあったし、いまでもそうだ。いまでも都会に憧れる母の気持ちは、私にも手に取るようにわかる。

 

母は昔、田舎から出るという夢を諦めた。

 

だから、たった1人の娘が田舎を出たい、と考えることにも誰よりも寛容だった。
全てを受け入れ、支援をしてくれた。


そんな母は、大学1年の時にバイト先で出会った父と、4年の交際を経て、結婚した。


母が欲しかったものは、いまの私が持っている。
でも、いま私が欲しいものを母は、私の年頃の時には持っていた。
ないものねだりとは、このことだ。

 

 

母は、笑ってこう言う。

— ママの人生は幸せ。大した後悔もない。だからママがもし急に死んでも、悲しまないでね。悲しむ必要がないから。ママの人生、ちょっと残念だったね、って言って笑ってね。

と。


ちょっと残念、というのは、田舎での生活を脱却できなかったことらしい。

 

そう人に笑って言える人生って、すごい、と思った。
単純にそう思った。

 

私は、母が結婚した年になる。

母の結婚は、取り立てて早い歳だったというわけでもないし、田舎の人だから結婚が早い、と言いたいのではない。


わたしは社会人2年目。


結婚するにはまた少し早い歳に感じる。
東京で働いていて、24で結婚するというのは、あまりリアルじゃないようにも思う。


でも、わたしの人生の標準とか、目安っていうものはいつだって母だった。

お嫁さんになるのは、ママと同じくらいの歳。

24か25くらい。昔からそう決めていた。


でもそれはきっと、このまま行くと、叶わない。

 

わたしは、まだ、自分が思っているより、子供だ。

 

誰かと人生を共にする、ということが、どういうことか分かりきっていない。

 


わたしには、好きな彼がいる。

でも、果たして彼と結婚していいのか、真剣に考えると分からない。
結婚は、好きだけじゃ続かない。

ようやく最近になって、その言葉の真意を理解できるようになってきた。

 

これから何十年、この人と過ごせるか、そう考えると、迷いが生じる。

 

でも、何故か彼を手放せない。

 

それが、愛なのか、情なのか、分からないのだ。

 


母は、今がいちばん綺麗なとき。
その時間を無駄にするな、と言った。

やっぱり、いつだって、正論だ。

 

昔から優柔不断で。
そんなわたしを見て、母は、

決断できる女になれ、とよく言った。

 

なのに、いまでもわたしは、

決断ができない女だ。


賢い女ほど、人生の中で迷いが少ない。
そう思う。


私は、いつになったら決断できる女になれるのか。