決断できる女

— 決断できる女になれ。


母の言葉である。

母はよく、わたしに女としてこう生きるべきだ、という言葉を口にする。

 

母は、決して、誰もが振り返るような綺麗な女性というわけでもない。言ってしまえば、いたって普通。


でも、母はいわゆる ”女の幸せ” と呼べるもの、いま私がいちばん欲しいと思うもの、その全てを若くして手に入れた。


自分自身、結婚願望は強い方だと思う。
私だけを愛してくれる旦那さんと、幸せに暮らしたい、好きなものに囲まれて暮らしたい、それがいまの私の夢。

 

結婚だけが、幸せになる術ではない。
女の全てではない。
そんなことはわかっている。


でも、わたしはまだ23歳。
お嫁さん、になりたいんだ。

 


母は、24歳で結婚し、25歳で私を産んだ。


子供は私1人。愛情をかけて育ててくれた。
でも、私は、田舎での生活が嫌で、地元を捨てるような気持ちで、東京の大学へ進学した。

 

都会へ行くことは、母の夢のひとつでもあったし、いまでもそうだ。いまでも都会に憧れる母の気持ちは、私にも手に取るようにわかる。

 

母は昔、田舎から出るという夢を諦めた。

 

だから、たった1人の娘が田舎を出たい、と考えることにも誰よりも寛容だった。
全てを受け入れ、支援をしてくれた。


そんな母は、大学1年の時にバイト先で出会った父と、4年の交際を経て、結婚した。


母が欲しかったものは、いまの私が持っている。
でも、いま私が欲しいものを母は、私の年頃の時には持っていた。
ないものねだりとは、このことだ。

 

 

母は、笑ってこう言う。

— ママの人生は幸せ。大した後悔もない。だからママがもし急に死んでも、悲しまないでね。悲しむ必要がないから。ママの人生、ちょっと残念だったね、って言って笑ってね。

と。


ちょっと残念、というのは、田舎での生活を脱却できなかったことらしい。

 

そう人に笑って言える人生って、すごい、と思った。
単純にそう思った。

 

私は、母が結婚した年になる。

母の結婚は、取り立てて早い歳だったというわけでもないし、田舎の人だから結婚が早い、と言いたいのではない。


わたしは社会人2年目。


結婚するにはまた少し早い歳に感じる。
東京で働いていて、24で結婚するというのは、あまりリアルじゃないようにも思う。


でも、わたしの人生の標準とか、目安っていうものはいつだって母だった。

お嫁さんになるのは、ママと同じくらいの歳。

24か25くらい。昔からそう決めていた。


でもそれはきっと、このまま行くと、叶わない。

 

わたしは、まだ、自分が思っているより、子供だ。

 

誰かと人生を共にする、ということが、どういうことか分かりきっていない。

 


わたしには、好きな彼がいる。

でも、果たして彼と結婚していいのか、真剣に考えると分からない。
結婚は、好きだけじゃ続かない。

ようやく最近になって、その言葉の真意を理解できるようになってきた。

 

これから何十年、この人と過ごせるか、そう考えると、迷いが生じる。

 

でも、何故か彼を手放せない。

 

それが、愛なのか、情なのか、分からないのだ。

 


母は、今がいちばん綺麗なとき。
その時間を無駄にするな、と言った。

やっぱり、いつだって、正論だ。

 

昔から優柔不断で。
そんなわたしを見て、母は、

決断できる女になれ、とよく言った。

 

なのに、いまでもわたしは、

決断ができない女だ。


賢い女ほど、人生の中で迷いが少ない。
そう思う。


私は、いつになったら決断できる女になれるのか。